ラマダンの真意(マレーシア新卒ブログ⑰)
はい。みなさんスラマッパギ!
昨日は一日中久しぶりにいろんな考え事をしていたので、今から二つ記事を書きます。
二日間旅のブログに脱線していましたが、今日から今週のテーマであるラマダンに戻りますね。
はい。
偉そうにラマダンについて書くからにはと、ネットではありますがかなりの数のラマダン関連の記事を読みました。
そのなかで、ラマダンの存在意義と言いますか、もっとも肝の部分はここじゃないかということを感じた部分があります。
それは、
『富める者が、貧しい人達の体場を理解し、施しをする。』
という部分。
これってすばらしいことやと思いませんか?
相手の立場を理解するには、やはり相手と同じ立場に立たないと本当の意味では理解できたとはいえないと思います。
そういう意味では、ただ単に一方的に寄付をするだけよりもよっぽど意味があることやと思います。
(まあ、ラマダンも日中だけという制限で、実際の貧困層の人たちとはまた全然立場が違うかと思いますが。)
宗教という特殊な強制力(内発的な部分もあると思います。)環境でのみ成立する行事であるということもポイントだろうし。
またラマダンは子供や、老人、妊婦や病人など特定の人たちは対象外となる、もしくは時期をずらして行うことができるという柔軟性も持ち合わせています。
そして、そういったラマダンの対象に無い人、もしくは金銭面に余裕がある人達が、貧困層の人たちに無料で食事などを提供するそうなのです。
つまり、僕が何が言いたいかというと、ラマダンはイスラム教の人たちがすべてフラットな立場に立ちお互いを思いやることができる貴重な時期であるということなんです。
ただ単に苦行を経験して、宗教の教えを順守することで信仰心を深めるんではなくて、そこにこそ本当に意味があると感じました。
そして、その苦しいけどみんなが同じ立場に立つ体験を一ヶ月間同じ宗教を持つ人たちが共有する。
それは宗教信仰者の間での強烈な仲間意識と達成感を生みだすだろうし、それがイスラム圏の人達の経済とか社会とか文化にいろんな意味でプラスに作用するんやろうなと思います。
ぼくは物事深く考えたりすること苦手やけど、ラマダンは調べれば、調べるほど深みがあって面白いです。
ラマダン関係は基本真面目に書いてるので、その分すこしでも見てる人に『ああ、ラマダンってそういうことなんや』ってことを知ってもらうきっかけになればいいなと思います。
それでは今日はシンプルですが以上です!!
PS 僕は就活してたときに、4日間水と塩だけの断食をしたことがあります。断食明けに食べた立ち食いそばのおいしさは今でも忘れられません。
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