杉村太郎さんがいなかったら・・・(マレーシア新卒ブログ75)
一度、前回のブログでも登場しました。
尊敬する人物二人目、杉村太郎さん。
太郎さんは2011年に亡くなってしまいました。
あと三年生きていてくれたら。
僕も実際に会って、あの人にぼっこぼこにされることができたのに。
多分人生もまた違ったものになってたに違いない。
ご冥福をお祈りします。
杉村太郎さんを知らない方に、簡単に紹介しますと。
慶応義塾大学を卒業後住友商事に入社して、在籍中に『シャインズ』で芸能活動をしてCDデビューをし、そのあと損保に入社して、就職活動で悩む多くの就活生、社会人に対して『我究館』を設立したというわけです。
がなりさんもですけど、この人も相当の異色のキャリアの持ち主。
多分言葉で言ってもこの人の良さって伝えきれんのですけど一言いうなら、
『亡くなる前に会いたかった』
と100回以上も思ったことがあるのはこの人だけです。
あまりにも著書『絶対内定』のインパクトが強かった僕は、太郎さんが創った我究館にずっと憧れていて、二度目の留年が決まった就活の時、僕は単身東京に乗り込んで、東京の表参道にしかない『我究館』に数少ない関西人として飛び込みました。
一括で入館金を払わないといけない規定だったけど、現在の熊谷館長に頼み込んで、三分割で支払うことで入館させてもらいました。(東京に家が無いから、新聞配達で住み込みで働きながら、分割金を支払ったのは今ではいい思い出です。)
太郎さんが生まれてなかったら。
僕は『我究館』というものに入ることができなくて、たくさん知り合えた大事な東京の友達にも会わずして、おそらく普通に就職していたと思います。
コーチもみんなも今でも連絡取りあってる人たくさんいるくらい貴重なつながりがたくさんできた。
ありがとうございます太郎さん。
はい。それでは最後に恒例の大好きな名言をいくつか紹介して終わります。
死ぬ気でやれよ、死なないから。
才能とは、自分自身を信じる力だ。
努力するより夢中になる
太郎さんを超えられるまで俺は死なんぞ。
それでは。