ラマダンの影(マレーシア新卒ブログ⑱)



こんばんはみなさん。
明日からまた仕事ですね。5日ぶりですこし感覚が抜け落ちていますが、切り替えて頑張っていきましょう!!


はい。
それではラマダン第三弾「ラマダンの影」について書いていきます。


Google Alertにラマダンを登録し、かなりのラマダン関連のニュース記事を目を通しました。
今朝の記事ではラマダンの光の部分にスポットを当てましたので、対極的な内容になります。


ニュースでいくつか目に飛び込んできたものをピックアップします。




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①熱波とラマダンが被ったことにより、多くの人が亡くなっている。
②ワールドカップの時間とラマダンの時間が重なり、選手が水分補給などできないため、パフォーマンスが低下してしまう。
③国によってラマダンの時間は最大で倍以上異なる。(最長22時間の国もあるそうです。)
④ラマダンを守らなかった青年がイスラム国によって処刑された。
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などです。
これらの記事は、目に見えている結果や程度は当然異なりますが、ラマダンに潜む一つの難しい部分で共通していると思います。


それは、



『ラマダンを守る必要がある人と、そうでない人の線引きはどこか?』



ということ。要は解釈の問題ですね。


当然これに関しては宗派や国によってもニュアンスが違うということはすでに前回までの記事で述べている通りです。(子供や、老人、妊婦や病人などは免除される、もしくは時期をずらして行う)


100%どんな人にもというものであればわかりやすいですが、上記の例外が存在するという柔軟性がある以上、その線引きというところが非常に分かりづらく、ニュースに取り上げられる問題の多くが、この境界線で起きていることではないかなと思います。


当然熱波などは、健康な上記の例外に含まれない成人男性であっても命にかかわるわけです。
かといって上記の病人に属するのかというとそうでもない。


国の威信を背負って戦う選手達(サッカーに限らずどのスポーツもですが)は、試合のときでは例外ではいけないのか、など。


同じラマダンでも22時間ラマダンする必要があるとしたら、9時間で終わるラマダンと比較すると、その苛酷さも、内容も全く変わってしまいます。



良く法律や憲法、宗教でも聞く話ではありますが、当然言葉の意味には幅があり、また文言で書き記しきれない例外も存在するわけであるから、「解釈」というのは非常に難しい問題であるなとこの問題を考えるにあたって感じました。


当然、絶対の存在が常にいれば、その人に教えを請えばいいんでしょうが、すでに亡くなった人が書いた記述や、言動などであればだれかがそれを判断する必要があるわけで。


そしてその権利はいったい誰にあるのか。そしてその範囲はどこまでなのか、どうやってその人を決めるのか・・・。


考え出すと疑問はつきませんが、この記事では書ききれないのでこのあたりで。


日本にいるとなかなか考えることがない宗教の問題ですが、関係ないと思わずに自分ごとだと思って考える時間を作ることも、相手の立場を理解することにおいて重要だなと感じますね。


僕がブログを書いている一番の目的はそこにありますから。




それでは!明日からみなさんお仕事頑張っていきましょう!!

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